19世紀西部開拓時代はこの道から始まった。 全工程3200km オレゴンへの道程は文字通り山越え谷越え、そして川を渡り大自然との闘いの連続。 固い意志と決心なくしてゴールまでは行き着けない。 原住民の襲撃に遭ったり伝染病や不慮の事故で、新天地を目前に 西部の土に眠ってしまった移民も数多く存在する。 肥沃な土地、夢の新天地 西部を目指したアメリカの勇気ある開拓者たちの物語 |
≪≪Previous Chapter 4へ |
オレゴン・トレイル物語 Topへ | Next≫≫ Chapter 6へ |
OTJ-1-4 NEBRASKA/ ネブラスカ |
Chapter 5 旅の様子…・・・ 〜1849年セント・ルイスで発行された 「カリフォルニアへの移民の手引き」の中に記された、 オレゴン・トレイルに向かう3人分の持ち物〜
通常午前中に5時間程進んで、昼間の暑い時間帯は昼食ををとったり、 家畜に水を与えたりする。 頑丈で軽量な馬車が必要であった。 ほとんどの馬車はカエデやヒッコリー、カシなどで造られていた。 バネがなかったので、岩場では全員が降りて歩いた。 (続く・・・) 〜ショップ オレゴン・トレイル物語〜 宿泊しているナッシュビルのホテルから、ダウンタウンの ライブハウスまで歩いていく事にして、小降りの雨の中を歩いていると、 あの有名な『ライマン公会堂』に辿り着きました。 ライマン公会堂は、「グランド・オール・オープリ」という 正統的なカントリー・ミュージックの伝統を誇るラジオ番組を 全米に向けて放送していたホールです。 「カントリー・ミュージックのカーネギー・ホール」と呼ばれ、 ここに出演することは並大抵の事では無かったでしょうね。 ライマン公会堂の前で立ち止まっていると、見るからに危険な雰囲気の 男が近寄ってきました。 私に向かって何か叫んでいるので、ヤバイと思い足早に 近くのライブハウスらしき店に入りました。 焦りながら店の中に入ろうとするとIDを見せるように言われ、 パスポートを見せて入店。 なんとそこは、女性が下着姿でカントリーを歌っている不思議な空間でした・・・ (続く・・・) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
* ショップ オレゴン・トレイルのオリジナル商品には、19世紀開拓時代の都市名や川の名前が付けられております。 はき心地の良い国産のコットンツイル地を使用し柔らかく履きやすいジーンズとなりました。 シルエットは”Westport”と同じレギュラーフィット。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オンラインショッピング |
≪≪Previous Chapter 4へ |
オレゴン・トレイル物語 Topへ | Next≫≫ Chapter 6へ |